そもそも、どうして人は怒るのか?

まずはじめに、私が心理学に精通しているわけではないことをここに断っておきます。あくまで私個人が筋が通っているのかを考察したものだと思ってください。

それでは、結論から言おう

 

 

「期待はずれ」だけが怒りのすべてである

 

そう!! 「期待はずれ」だけが怒りという感情なのだ!!!

 

 

 

・・・いやいや、そんなはずないだろう!! 感情ってもっと複雑で・・・そもそも感情に理由なんてあるのか?

怒りは悪い感情で、期待と結びつくなんて間違っている。初めてこの言葉を知った時、私はそう思った。

そんな簡単なわけない。こんなロジック、絶対に間違っている。

絶対に論破する!!!!

 

具体例を考えよう

 

どうしたら論破できるのか。反証、つまり当てはまらない例を一つでも見つければいい。

まずは身近なものに当てはまるか考えてみよう。自分がその立場になったつもりで想像してみた。

  1. 電車で席を譲らない若者にイライラした
  2. 子どもの酷い点のテストを見て怒った
  3. ゲームをしてイライラした
  4. 上司が嫌がらせばかりしてくるクズで怒りがおさまらない

さて、これらすべてに「期待はずれ」が当てはまるだろうか。

  1. 若者に席を譲ることを”期待”していたが、裏切られた。
  2. 子どもを思っての感情ではなく、いい点数を”期待”していた。(叱るのと感情的になって怒るのは別なのだ。)
  3. 対戦相手やチームの仲間、さらに自分自身やゲーム自体に”期待”する。自分のプレイに納得がいかない、ゲームのバグで負けた、そういうのだって期待はずれだ。
  4. クズな上司に何も期待してなどいない? いやいや、普通であることを”期待”しているではないか!!

 

なんということだ!! すべてに当てはまってしまった!!!

さらに、別の角度からもも考えてみよう。

 

  1. 電車で老婆が席を譲らなかった
  2. よその子どものテストの点が悪かった

 

この二つで上と違って怒ることはない。ではどうして違う結果になったのか。

そう、そもそも期待していなかったからだ!!

 

やはりこの説は正しかった!!!

 

 

・・・ちょっと待ってほしい。

 皆さんは確証バイアスについて知っているだろうか。簡単に言うと、都合のいい情報ばかり集めてしまう癖のことだ。

非常に強力なので、自分で選んだ例ではほぼ100%適切な例を挙げられているかどうか判別できない

 

困った・・・

 

 

 怒りを観察しよう

 

 体験というのは唯一で、情報量が圧倒的だ。そして体験は選ぶことができない。つまり、確証バイアスに左右されずに集められる絶好のサンプルなのだ。

それからまず私は私の怒りをとことん観察した。

 

怒った時はチャンスだ。すかさず紙とペンを持って自分がなぜ怒っているのか紙に思いっきり書き殴る。私は期待してなどいないはずだ。友達に、会社に、社会に、自分に・・・。怒り=期待はずれ理論を論破できないか、必死に考えた。

 

人気YouTuberの炎上を見てイライラしていたのは彼らにモラルを期待していたから。SNSで自分と違う意見の人にイライラしていたのは彼らに自分と同じ意見を期待していたから。TVで凶悪殺人犯が反省していないのを見てイライラしたのは謝罪を期待していたから・・・

 

否定できなかった。次に他人の感情も観察した。

同じだった。

 そして一年考えても否定できなかった。今日に至るまで一度も。

 完全敗北である。

 

皆さんもぜひ試してみてほしい。今怒っていないなら、過去に怒ってしまったことを思い出して。

・・・どうだろうか、すべて当てはまっているのではないか? もし当てはまっていない例を見つけたら私に教えてほしい。

 

 あれ? 怒るのってそんなに悪いこと?

 

ここまで怒り=期待はずれ を否定できなかったわけだが、そうすると一つ疑問が湧いてくる。

怒り=悪なら、期待を持つこと=悪なのか?

怒りたくないなら、何にも期待せずに現実を見ろ、ということだろうか。こうあってほしいという希望もなく、正しくあるべきという正義すら期待で、もしそうならばあまりに孤独で寂しい。

怒りはその人の価値観をぶつける行為だ。まったく怒らないのが美徳とされがちだが、怒りを乗り越えて生まれる絆もあるのではないか。

もちろん壊してしまうものもある。その方が多いかもしれない。けど、それはそれで人間っぽくていいんじゃないかな。

 

 まとめ 

  • 怒りとは「期待はずれ」
  • 怒りを観察してみよう
  • たまには怒るのだって悪くない

 

 以上です。最後までご閲覧いただきありがとうございました。